コンピュータの進化の歴史は、機械と人間の境界を曖昧にしてきました。
「電子頭脳」「人工知能」「人工生命」など、時折コンピュータに与えられる別名からもわかるように、コンピュータの研究は、それまでは生命だけの特権だと思われていた働きを、機械が代わっておこなえるかどうかを考えることが科学者のモチベーションになって進んできました。
「電子頭脳」「人工知能」「人工生命」など、時折コンピュータに与えられる別名からもわかるように、コンピュータの研究は、それまでは生命だけの特権だと思われていた働きを、機械が代わっておこなえるかどうかを考えることが科学者のモチベーションになって進んできました。
いま、そうした研究の結果が花開き、人間と同じように(またはそれ以上に)コンピュータが自分で学んだり、人間と同じ空間で作業したりする事が可能になってきました。そう、AI(人工知能)やロボットです。
これまでのコンピュータと人間の関係は、いうなれば主人と奴隷のような関係でした。主人の命令は絶対で、奴隷はその命令どおりに忠実に働きます。インターネットで買い物ができるのも、スイッチを入れればポットのお湯が湧くのも、そのように主人の命令に従うようにコンピュータがプログラムされているからです。
しかし、これからはそういう関係ではなくなっていきます。コンピュータが人間に指示されなくても、自分で判断したり学んだりしながら人間にとって良いことをしてくれます。便利に買い物を済ませてくれることも、部屋の掃除をしてくれることも、話し相手や遊び相手になってくれることもあるでしょう。車に乗せてどこかについれていってくれることもできるようになるでしょう。
ときには、失敗してしまうこともあるでしょう。どんなにコンピュータが優秀になったとしても、自ら学び自ら判断する上で、失敗をゼロにすることはできません。コンピュータが人間の命令に従っているだけの時代は、失敗とは「人間の失敗」でしたが、これからコンピュータと共存する社会になった時、「コンピュータが失敗すること」についてどう考えたら良いでしょう? お茶をこぼすくらいならいいですが、交通事故のような失敗はとてもむずかしい問題です。
コンピュータと人間が共生する未来型社会について考える時、唯一の正解というものはありません。難しいから今のままがいいという考え方も、難しいけど少しずつ受け入れようという考え方も、等しく価値があります。問題なのは、一部の人の意見や都合だけが優先される未来社会ではないでしょうか。
来るべきグローバルなIT社会は、働き方や生き方の価値観、生活地域や習慣などさまざまな「人生観」が肯定され、多様で自由な選択が可能な社会となるでしょう。だからこそ、未来型社会のプレーヤーとして活躍できるために必要な「STEAM教育」や、誰とでも通じあえる「ヒューマンスキル」を学ぶ機会を広く提供していく必要があります。
PYDでは、プログラミングを学ぶことによって、誰もがコンピュータという人間のパートナーを理解し、考え、楽しさを分かち合う機会を創出します。また、外国語をはじめとするヒューマンスキル磨くことで、活動の幅をより自由に広げる機会を提供します。その活動を通じて、人とコンピュータが創り出す未来社会が、誰にとってもフェアで開かれたものになることを目指します。